大阪狭山市にある狭山池は、古事記、日本書紀にも築造に関する記述がみられる、日本最古のダム式のため池です。
池の中には龍神社が祀(まつ)られています。
2015年(平成27年)3月10日、国の史跡に指定されました。
狭山池ダム
昭和57年8月の豪雨で3,000戸を超える浸水被害を受けた西除川・東除川流域を洪水から守るために、農業用ため池であった狭山池を洪水調節機能を併せ持つダムに改修しました。
狭山池ダムの諸元(しょげん)
寸法や重量などを数字で表したもの(スペック)ですぅ
大和川水系西除川
形式
均一型フィルダム
貯水容量
280万m³
満水面積
36ha
堤頂長
997m
堤高
18.5m
周遊路
2.85km
狭山池年表
狭山池の誕生
616年(推古天皇24年)
狭山は降水量が少なく、大きな川がなかったので、農業用水が不足していました。
そこで、灌漑(かんがい)用として、周囲の川をせき止めて、狭山池がつくられました。
水路を作って田畑に必要な水を引き、土地をうるおす事ですぅ
行基の改修
731年(天平3年)
行基(ぎょうき)が狭山池を改修して、堤は60㎝程かさ上げされ、高さは6mになり、池の近くに狭山池院・尼院も建てられました。
敷葉工法(しきはこうほう)が使われました。
堤を築く土木技術の一つで、粘土と砂利を交互に突き固め、その中に葉や枝を敷き詰めて強化する工法ですぅ
行基(ぎょうき)
学習まんが 少年少女 人物日本の歴史 行基
668年~749年
668年、現在の大阪府堺市西区家原寺町に生まれる。
奈良時代に貧富の区別なく民衆を救うため、全国を周り、田畑を開墾し、ため池や橋を作る土木工事を行った僧(お坊さん)。
日本で最初の大僧正(だいそうじょう)として、聖武天皇により奈良の大仏(東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう))の造立の総責任者を任ぜられました。
お坊さんで一番えらいポン☆
天平宝字(てんぴょうほうじ)の改修
762年(天平宝字6年)
朝廷による天平宝字の改修。
堤の高さ、幅が2倍(貯水量が築造当初の2倍)になり、このとき東樋(ひがしひ)も延長しました。
堤が3.5m高くなり、底幅は池の内側に20m広がりました。
敷葉工法(しきはこうほう)が使われました。
底幅・・・54m
長さ・・・310m
弘仁(こうにん)の改修
819年(弘仁10年頃)
「狭山池所」という、臨時の役所が作られました。
鎌倉時代(重源)の改修
1202年(健仁2年)
東大寺を再建した重源(ちょうげん)が、古墳の石棺(せっかん)を利用して石樋(いしひ)を造りました。
死者を入れるために、石で作った棺(ひつぎ)ですぅ
石樋とは
池の水を放出、流下させる為の水門及び管の事ですぅ
底幅・・・54m
長さ(推定)・・・310m
重源(ちょうげん)
暮らしをまもり工事を行ったお坊さんたち―道登・道昭・行基・良弁・重源・空海 空也・一遍・忍性・叡尊・禅海・鞭牛 (土木の歴史絵本 (第1巻))
1121年~1206年
平安時代末期から鎌倉時代の日本の僧(お坊さん)。
源平の争乱で焼失した東大寺の復興も果たしました。
平安時代の終わりに、源氏と平氏が繰り広げた戦いの事ですぅ
享徳の改修(きょうとく)の改修
1452年(享徳元年)
近隣の村々が工事費を負担して、改修しました。
底幅・・・60m
長さ(推定)・・・310m
安見美作守の改修
1500代前後(戦国時代)
安見美作守(やすみみまさかのかみ)が改修を行ったが、成功しなかった。
底幅・・・60m
長さ(推定)・・・310m
慶長の改修
1608年(慶長13年)
豊臣秀頼の家臣である片桐且元が改修しました。
上層東樋(ひがしひ)・中樋(なかひ)・西樋(にしひ)を造った他、西除(にしよけ)も造りかえ、東除(にしよけ)も新設しました。
片桐 且元(かたぎり かつもと)
片桐且元: 豊臣家の命運を背負った武将
1556年~1615年
安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、浅井長政、豊臣秀吉、徳川家康らに使えた戦国武将。
賤ヶ岳七本槍の一人にも数えられました。
秀吉方で、手柄を立てて名をあげた兵の7人を、賤ヶ岳の七本槍(しずがたけ の しちほんやり)と呼びました
底幅・・・60m
長さ(推定)・・・600m
小堀遠州(こぼりえんしゅう)の改修
1620年(元和6年)・1621年(元和7年)
小堀遠州が北堤を改修しました。
小堀遠州
テクノクラート 小堀遠州―近江が生んだ才能 (淡海文庫)
小堀遠州 綺麗さびの極み (とんぼの本)
1579年~1647年
江戸前期の茶人・武将。
建築・造園に才を発揮し、二条城・仙洞御所などを手掛けました。
元禄の改修
1693年(元禄6年)・1694年(元禄7年)
西除が大雨で崩壊し、改修が行われました。
安政の改修
1857年(安政4年)~1859年(安政6年)
西除が崩壊し、改修が行われました。
堤の高さ・・・13.8m
底幅・・・60m
長さ(推定)・・・600m
明治の改修
1903年(明治36年)~1907年(明治40年)
西除が崩壊したため、コンクリートを使用して改修されました。
昭和の改修
1962年(昭和37年)~1964年(昭和39年)
堤の護岸工事が行われました。
平成の大改修
1988年(昭和63年)~2002年(平成14年)
狭山池がダムに生まれ変わりました。
重要文化財に指定
2014年(平成26年)
狭山池出土木樋、および重源狭山池改修碑が重要文化財に指定されました。
世界かんがい施設遺産に指定
2014年(平成26年)
世界かんがい施設遺産に指定されました。
国の史跡に指定
2015年(平成27年)
3月10日に国の史跡に指定されました。