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狭山競艇場の3年余り【狭山池ちょっぴり昔ばなし】No.2

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さくら子
狭山池の記憶を今に伝える『狭山池ちょっぴり昔ばなし』
今回の語り部は、大阪狭山市在住のハンドルネーム『KN』さんです。
KNさん、よろしくお願いします。

語り部:(76歳 男性)

昭和27年9月

狭山池で狭山競艇が開催され、最初は客が多かった。

 

開催されている時は、エンジンの音や競争のアナウンサーの声が聞こえ、風向きによっては、とても大きく聞こえる時があった。

 

競艇に訪れる人は、地元、狭山町の人や北野田、堺東方面より来る人が多かった。

 

場内には3,000人位入る観覧席があった。

 

食事する所は、南海グリル1軒。
競艇場には予想屋が8軒あり、レースとレースの間に予想屋の大きな声が聞こえる。

 

 

競艇の開催のない時は、選手の育成所としていた。
6ヶ月位訓練を受けて、びわこ競艇場にある試験会場で試験に合格すれば選手になれた。

狭山池出身の選手は、第1期5人・第2期5人の計10人が狭山競艇場で走っていた。

 

 

開催している日曜日は、未成年者が入場していないか中学校の先生が見回りしていた。
この時、先生は黙ってチェックして、入場していた者は月曜日のホームルームで注意された。
親が予想屋をしている子供は、仕事の手伝いの為、注意なしであった。

 

私の親は日曜日に舟券を買っていたので、出走表を入口までもらいに行った事もあった。

 

 

競艇開催中は、近所の農家の方がボートやエンジンの陸への上げ下げのアルバイトに行っていた。
又、女の人は券を売る窓口の仕事に行っていた。

 

 

実はこの狭山競艇で、舟券を買って負けている狭山町の人が多くいた。
畑や牛を売ったり、竹藪や畑、家財も無くした人もいた。

 

 

昭和30年頃、徐々に客が減少して、昭和31年1月より大幅な赤字が続き閉鎖された。

その後、住之江競走場へ移転された。

さやポン
狭山池には昔、競艇場があったポン☆

さくら子
さん。
狭山池の記憶を今に伝える貴重なお話、本当にありがとうございました。

狭山池ちょっぴり昔ばなし


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